先日、映画『おおかみこどもの雨と雪』を久しぶりに見ました。
何度も見た作品のはずなのに、今回はなぜか胸に強く刺さって、見終わったあともしばらく余韻が残っていました。
それはきっと、今の自分の子育てと重なる部分が多かったからだと思います。
特性を「理解してくれる人」がいることの大きさ
物語の中で印象的だったのが、花の夫(雨と雪のお父さん)の存在です。
彼は自分自身も“おおかみ”で、子どもたちの特性を感覚的に理解できる人でした。
その彼が亡くなったあと、
「子どもたちの特性を一番わかってくれる存在がいなくなる」
この状況が、子どもにとってどれほど心細いことか。
現実の子育てでも、
特性のある子にとって「わかってくれる大人」がいるかどうかは、とても大きいと感じます。
花は特性を持っていなくても、必死に学び、考え、理解しようとします。
その姿は、特性のある子を育てる親として、胸が締めつけられるほどリアルでした。
雪の「合わせる生き方」がしんどくて
雪は、人間の世界で生きるために、自分の特性を必死に隠します。
友達と同じようにふるまい、普通であろうと努力する姿は、とても健気で、でも苦しそうでした。
ときどき、においで正体がばれそうになる場面は、
「無理をして合わせ続ける怖さ」そのもののように感じました。
実はここ、私自身とも重なりました。
私は診断があるわけではありませんが、昔からとても慎重で、敏感で、考えすぎるタイプです。
周りのペースについていけず、「なんか違うな」と感じながら生きてきました。
必死に周りに合わせて、
考えすぎないようにして、
ときにはあえてお調子者を演じていたこともあります。
雪の姿を見て、
「合わせることが正解とは限らないよね」
そんなふうにも思いました。
雨の「居場所を見つける生き方」と親の不安
一方で雨は、自分の居場所を見つけるために、人間社会から離れる選択をします。
本人にとっては自然で、生きやすい成長なのだと思います。
でも、親の立場で見ると、正直とても不安でした。
危なっかしくて、
普通の生活ができなくなるんじゃないかと心配で。
これは、ADHDの子を育てている今の自分とも重なります。
今は守れる環境にいるからいい。
でも、いつか一人暮らしをするとき、社会に出たとき、やっていけるのか。
「自分らしく生きてほしい」と
「できれば普通に生きてほしい」の間で揺れる気持ち。
それはきっと、多くの親が抱える葛藤なのだと思います。
今は、守れるからこそ見える良さもある
ただ、今だからこそ思えることもあります。
守られている環境だからこそ、特性が「強み」として出ている面もある。
好きなことに夢中になれる力。
自分なりの答えを見つける力。
周りと違う視点を持てること。
将来の不安は消えないけれど、
ツールも増え、AIも発達していく時代。
昔より、きっと生きやすくなる部分もあるはず。
この映画は「正解をくれない」
『おおかみこどもの雨と雪』は、
どちらが正しい、どちらが幸せ、という答えを出しません。
だからこそ、
見る人の立場や状況によって、刺さる場所が変わる映画なのだと思います。
ADHD子育てをしている今の私は、
「理解しようとし続けること」
「不安になりながらも見守ること」
その大切さを、改めて考えさせられました。

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